元絵 |
綺麗で深い川の底でカイセルは仰向けでゆるやかな水の流にゆられていた。
水面が太陽を反射してきらめく。目の前を魚が通る。目にもとまらぬ速さで鋭い爪で魚をとらえた。
魚を掴んだまま水底を蹴って水面に顔を出し、大きく空気を吸い込む。
そのまま川を突っ切って陸にあがる。一息つくとまだ生きている魚を頭からそのまま食べ始めた。
魚を喰い終わるか終わらないかのうちに突然、後ろから飛んできた棒状の何かが頬を掠める。
間髪入れずに四方八方から何本も飛んでくる。
カイセルは面倒くさそうにギリギリの所でかわし続ける。
「――っと」
後ろに下がって避けるとむき出しの背中がとん、と古い無人の家の壁に触れた。
「…誘いこまれた?」
所々塗装の剥げた白い壁をちらりと見る。
その一瞬の隙を衝かれ、左手に十字架を模した少しイビツな白い杭が突き刺さる。
「ぐっ…がぁッ!」続けざまに何本もの十字架が皮を裂き、肉を抉り、骨を砕き、全身に深く喰い込む。
彼の特徴である青い肌がみるみる紅く染まっていく。
左手に刺さったものを含む幾つかは身体を貫通し、カイセルを壁に磔にした。
ごぼりと喉の奥から耳障りな音。
「がっ…は…」血の塊を吐きだす。顎を伝って血がぼたぼたと地面に吸い込まれる。
「鋭利じゃない棒でよくここまで…出てこいよ、何が目的だ?」
川を挟んだ反対の木々の間の茂みから、金髪の獣人の少年がゆっくりと出てきた。
川縁まで歩いて来たと思うと驚異的な跳躍力で川を飛び越え、カイセルのいる側へ音も立てずに着地した。
「ボクと戦ってください」
あどけなさが残る顔の少年が言った。
「…ならこんな面倒な事しないで直接掛かってくればいい」
「ガチのアナタと戦いたいのです」
カイセルが痛みに顔を歪ませながらもニヤリと口角をあげる。
「吸血種の特徴を知ってるようだな…?残念ながらイヤです」
腕に力を込め、杭を引きぬこうとする。が、思うように力が入らない。
「ダメですよ。それはボクが創りだした特殊な十字架なんです」
少年がひらひらと右手を振る。少年の周りにカイセルや壁に刺さっている杭と同じものが数本空中に現れた。
「これはアナタの力を吸い取り、ボクの意志で自由に操ることができる」
振っていた手をひゅっとカイセルに向ける。
少年の周りにあった杭の一本がカイセルに刺さり、カイセルが呻く。
指を少年側に曲げると、別の杭がずるりと身体から抜ける。
カイセルはまた呻き、杭の抜けた孔から血が噴き出す。
「吸血種は長期間吸血しないか、一度に大量の血を失うと『暴走状態』になる…」
少年の言葉に継ぐようにカイセルが口を開く。
「その状態の私と戦りたいってか…理由は聞かないがやめといた方がいいぞ、少年?」
少年が腕を大きく払うと少年の周りにあった杭が全てカイセルに突き刺さった。
耐える様に視線を少年から地面に移す。足の鉤爪が地面を掻き、食い縛った歯の間から血が滲んで滴り落ちるる。
もう一度大きく腕を振って身体に刺さっていた杭を数本同時に引き抜く。
カイセルは苦痛の声をあげながら口と身体に増えた孔から血を噴いた。荒い呼吸が繰り返される。
「アナタは黙って血を流してればいいんです」
「は…くそ……どう、なっても…しらねェぞ…」
カイセルが苦しげに呟く。視界は急速な失血によりゆがんで霞み、暴走しないように意識を繋ぎとめるだけで精一杯だった。
揺らぐ視線をなんとか少年のほうに向け、こみ上げる己の血でむせながら言った。
「限界だ…グッドラック、少年……」
そう言って目を閉じ、意識を手放した。
気がつくと先ほど磔にされていた家の近くに立っていた。高く昇っていたはずの日は大分傾いている。
少しずつ全身の感覚が戻ってくる。全身が切り傷と穴だらけで痛む。多少ふらつくが血はほとんど止まっている。
白かった家の壁は血で赤く塗りかえられていた。その家の壁に背を預けてゆっくりと座る。
最初に貫かれた左手を見る。痛みとは別のちくちくとした感覚。とても緩慢にだが傷がふさがっていっているのだ。
辺りは血にまみれ、自身も赤く濡れていた。口内に自分の以外の血の味を感じる。
見回すが少年の姿はない。人型を丸ごと喰うなんてことはできないからうまく逃げ切れたのだろうか…
少し経ち、こんどはゆっくりと立ち上がる。
傷が癒えたわけではないが、ひとまず全身の血を流そうと思い川に向かう。
倒れこむように川に身を投げる。冷たい水が傷を刺激する。身体に開いた孔を水が通る感覚が何とも言えない。
辺りは暗くなってきたが月は見えない。星は僅かに見えているので新月なのだろうか。
川からあがり、火をおこして疲れ切った身体を温める。
落ちついた頃、白い家の川に面している壁とは反対の玄関だったと思われる所に置いておいた服を着る。
少年から血を吸った…とはいえ失った血のほうが明らかに多い。
また暴走しないうちに血を補給したほうがいいだろう。
火を消し、カイセルはゆっくりと森へと姿を消した。
2011年4月19日公開